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カルチャー

考えたことなかった!目からうろこのTシャツの歴史

2年前閲覧 1,133

古着に初めて触れる人が手にしやすいのがTシャツです。日常的に着用する機会も多く、シーズン問わずファッションに取り入れることができるのも魅力ですね。

最近では自分でデザインしたものをプリントして作ることもできるようになるなど、色んな楽しみ方ができるようになりました。

新品のTシャツのシャキッとした感じも捨てがたいのですが、古着のTシャツにはそれとは違う魅力を感じます。

個性的なデザインやプリントを見ると、当時の歴史やトレンドがわかるくらいにTシャツは時代と共に変化しています。今回は、そんなTシャツの歴史をご紹介しながら、古着Tシャツの魅力を再発見しましょう!

Tシャツは軍隊のアンダーウェアから発祥

Tシャツはヨーロッパ生まれであるとの説があるようですが、そもそもは海軍のアンダーウェアだったようです。軽くて薄く乾きやすいメリヤスのアンダーウェアは、ハードワークな海軍の兵士にはなくてならないものでした。

それをみたアメリカ海軍が、同じようなアンダーウェアを作り陸軍にも普及したことでアメリカで公式にアンダーウェアとして広がっていきます。

ただ、この当時はあくまでも「アンダーウェア」として着用されていたので、色も白無地で柄や色が入るのはまだまだ先の話です。

日本でTシャツが認知されるのは、第二次世界大戦後のGHQによる占領下でのこと。進駐軍の兵士が着用したジーンズと共に日本で見られるようになっていきます。

アンダーウェアから作業着に

自衛隊を見ればわかりますが、海外派遣で帰国した様子を見ても制服をきちんときた状態で帰ってきますよね。ところが、さすが自由な国アメリカ。

窮屈な制服を脱ぐことで「戦争は終わった」ことを周囲にアピールすると共に「これで自分も自由になれる」とばかりに、下着シャツ1枚になり脱いだ制服を肩にかけて歩きます。

汗をかいてもサラッとしていて、洗濯してすぐに乾くとなれば、労働者たちが目をつけないわけがありません。

やわらかな綿素材で、伸縮性があり吸水性に優れたTシャツは、下着としてだけではなく、普段の作業着としてもこんなに優れたものはないわけですから、アメリカで広がっていったのは必然的なことだったのです。

1940年代に入ると、アメリカ軍が「T」の形をした丸首、綿100%のシャツを隊員に支給します。アンダーウェアとしてだけでなく、防塵や防煙、頭を守る帽子として使えるだけでなく命の危険が迫った時に「白旗」として使えるように考え出されたものでした。

Tシャツを実用性の高い洋服として認知させた、進化させたのは、戦争という名のもとに働く軍人の為だったのです。

海兵が着用するTシャツは「男らしさ」「強さ」としてアメリカ国民に広がり、戦後は「自由の象徴」「民主主義国家」のシンボルとなりました。軍人だけでなく、労働者も大統領もTシャツは大好きだったようですね。

若者文化とTシャツ~メッセージとしての象徴~

大衆に広まっていったシャツですが、キリスト教の体質的な文化に身を置くアメリカでは、伝統やしきたりは守るべきものとして深く根付いていました。当然ながら、「ジーンズとTシャツは労働者が着用するもの」であり、あくまでもインナーとしての役割しかありません。

「パックス・アメリカーナ」とも呼ばれる高度成長期のアメリカにはフィフティーズ文化も生まれますが、同時に人種問題を抱えた閉鎖的な時代となりました。そんな中でも人気だったのが、マーロン・ブランドやジェームス・ディーンといった反逆的なイメージを持つ青春スターが登場する映画です。

「エデンの東」「理由なき反抗」など、闇を抱えたちょい悪な若者がTシャツをカッコよく着こなしていることから、若者の間でブームが起こります、ボタンもなく着脱が簡単、着心地もいいだけでなく体と魂の開放感やこなれ感にぬけ感といいとこどりだったのです。

メッセージTシャツから若者文化へ浸透

日本国内でトップスとしてのTシャツは作られるようになったのは、1951年ごろで石津商店(後のVAN)がポケット付きの子ども用Tシャツを販売、その後に男性用Tシャツも販売を始めました。この当時は女性がTシャツを着用する概念がなく、1960年ごろに別メーカーから女性用Tシャツが販売されるようになります。

60年代にはプリント技術が発展し、今ではよく見るプリントTシャツがどんどん広まっていきます。

アメリカの若者は自由主義運動に参加し、自由の象徴としてTシャツを愛用するようになります。

サイケデリックロックバンド「グレイトフルデッドで」が火付け役となり

バンドTシャツが浸透していきました。

Tシャツにプリントすることで、メッセージ性のあるアイテムから商業アイテムへとTシャツの価値が変化していきます。

バンドTシャツはもちろんですが、選挙の宣伝として、チームのユニフォーム、会社やグループ企業の宣伝、環境問題などを訴えるアイテムとしてアメリカでライフスタイルに定着していくのです。

この頃の日本では、アメリカ西海岸から並行輸入されていたロゴプリントTシャツが流行します。ただし、コストが高額でなかなか売れません。そこで、ローコストな中国で国産のプリントTシャツの生産が始まっていきます。

ファッションアイテムとして不動の地位へ

1980年代には渋カジ、デザイナーブランドブームでカウンターカルチャーとしてストリートファッションが確立していきます。ビックサイズのTシャツや写真プリント、バンドTシャツ×チノパン・ジーンズファッションが中心になり、アンダーウェアであったTシャツはファッションアイテムとしての地位を確立しました。

その後はファッションアイテムとしてだけでなく、「スポーツで着用するTシャツ」として

素材やデザインなども変化していきます。男性のファッションにかかせないTシャツは、徐々に女性にも広がっていき、アウターとしてTシャツを着用するようになっていきます。

70年代半ばから綿100%からポリエステル混紡のTシャツが多くなっていきました。80年代のTシャツはほぼ、ポリエステル混紡のTシャツになっています。綿100%のTシャツは90年代に入り増えていきます。また、Tシャツの裾部分も90年代半ばまではシングルステッチでしたが、後半にはダブルステッチに変化するなど仕様が変化しているのも注目です。古着を購入したら、細かいところもチェックしてしてみると楽しいですよ。

90年代に入るとアパレルブランドが次々にTシャツをコレクションで発表。

クールビズやウォームビズなど、ファツション面での働き方改革を掲げられる会社・職業が増えていきます。また、カジュアルフライデーの普及によって、ビジネスシーンでは質が高くキチンと感のあるTシャツが取り入れられるようになります。

スーツやジャケットにTシャツを合わせるスタイルは、ミニマル・ファッションとてして世界中に広がっていきます。

カジュアルスタイルとしてのTシャツはもちろんのこと、ルイヴィトンやグッチなどのラグジュアリーブランドからも個性的なTシャツが発表されるようになったのです。

時代をまとえる古着Tシャツ

デザイン性の高いTシャツが増えたことで、ファッションの中心となったTシャツ。その人気ぶりから、多くのメーカーがTシャツを生産したことで「少しでも安く」と価格競争が激しさを増していきました。これが、ファストファッションの始まりです。プリントデザインやサイズ、素材やボディを試行錯誤し「定番」のTシャツからブランドとのコラボなどその世界観を広げていきました。

独特な生地の編み方、縫製、染色技術にプリント技法など、ブランドごとのこだわりを感じられます。肌ざわりやシルエットなども、同じように見えて違いがあるのでどんどんVintage.Cityでお気に入りのTシャツを見つけてみて下さい!


エディター:桜花

Instagram:www.instagram.com/milky.loveham

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