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Culture

経年価値

2 years ago1,556 views

新型コロナウイルスの感染拡大を回避するための一策として、外出の自粛機会が増えたことで暮らしかたをあらためて見直し、少しでも快適に過ごせるようにと部屋を片付ける人たちが増えている。

例に漏れずコロナ断捨離に着手したものの、大掃除あるあるのループにはまりなかなか作業は進まない。

これは捨てよう、

これはやっぱり残そうかな、

これは…次の機会に判断するとしよう

などと結局思い切った断捨離とはならなかったりもして。

そんな中、持っていたこと自体すらすっかり忘れていたモノたちとの再会もあり、驚きと懐かしさと一周まわった新鮮さにしばしひたる時間。

10年ひと昔とはよく聞くワード。

たしかに10年ぶんの時間経過は社会はもちろんあらゆること・ものの進化や変化とともにより良くあろうと移ろいを見せてゆく。

世の中の移り変わりは、過ぎてこそ気づく思いのほかの目まぐるしさで、十年前に最新・最先端とうたわれ発売されたばかりのモノも十年経つと誰もが持っていて当たり前になっていたり、もはや過去の遺物になってしまったり。

過ぎ去る時間もこれから迎える時間も等しく「今このとき」の積み重ねでしかない。

懐かしく思うことも、この先の発展を楽しみにするのも、人生においてはまばたきする程のほんの一瞬の感情だけれども、たしかに生きている証でもある。

音楽や匂い、味などの五感で記憶されていることが、のちにどこかで不意に耳にしたり味わったりした時にその時の思い出とともにハッキリとよみがえる…誰しも一度は経験のあるシーンではないだろうか。

封印されていたカッコ悪いことや恥ずかしかった感情までもが、リアルに脳内再生され、しばし思い出し笑いが止まらなかったことも。

若気の至りと笑い飛ばせるような、くだらない失敗や情けないしくじりもすべて今の自分を構成する上で必要な過程であったと愛しもう。

一念発起の断捨離初めに再開したのは30年前に思い切り背伸びして購入したバッグ。

80~90年代のバブル華やかなりし頃、世間では猫も杓子も高級ブランド品を身につけていた。

大学生は高級外車でデートに繰り出し、女性たちは前髪を上下にカールさせ肩パッドボディコンスーツに身を包み高級ブランドのバッグを見せつけるように持っていた。

当時は全身をブランドで揃えた着こなしが主流で、その世界観を存分に味わうことこそが目的だったのだろうと思う。

その姿を多くの人に見てもらうこともまた、自尊心を満たす行為になり得たのかもしれないが、ブランドの持つ力を自らの魅力と勘違いしてしまう輩も多かったに違いない。

件の断捨離ではまさにその見栄っ張り具合、ミーハー度がお恥ずかしい程あからさまにわかる懐かしいモノと突然の再開。

バブル景気の日本で人気を博していたブランド「MCM」。

ヴィトンやブルガリには手が出なくとも、ちょっと頑張れば手に入れられたものだ。

キャメルレザーに、洗練されたロゴマークが規則的に配置されたデザインが印象的。

これでもかと言わんばかりにロゴのモノグラムパターンが配され、セカンドバックや財布などの小物も充実しており男女問わず人気があった。

それがここ数年インバウンド景気に沸いていた、新型コロナウイルス感染拡大前に街中でやたらと見かけるようになっていたのは気付いていた。

中国語・韓国語で会話する人々はみな揃ってMCMのリュックサックだった。

目にしても「あの時代のもの」という意識しかなく、自分がかつて所持していたことすらチラリとも思い出さなかったのは何故だろう…。

そもそもはドイツ・ミュンヘン発祥の同ブランド。

1970年代半ばに当時西ドイツのミュンヘンで活躍していた人気有名人がこぞって持ち歩き人気に火がついたバッグブランド、「MCM(エムシーエム)」。原色を多く取り入れた独特の色使いや、スタッズがついた特徴的なデザインは日本でも若者を中心に話題を集めのマイケル・クローマーが仲間と創業したブランドの名称で「Michael Cromer Munich:マイケル・クローマー・ミュンヘン」頭文字からなるクラシックさを感じるロゴグラフィックなっている。

俳優という職業柄、長期ロケなどのためのオシャレで丈夫な旅行鞄が欲しいという思いから製作が始まり、そのファッションセンスと有能なデザイナー、熟練の革職人の手によって完成させた逸品がブランドのスタート。

2005年に韓国の会社が買収、その後日本再進出を果たし直営店もオープン。

Mode Creation Munich”(モード・クリエーション・ミュンヘン)に変更となり、スタイリッシュなラグジュアリーブランドとして、アジア諸国の若い世代をターゲットに展開。

原色を多く取り入れた独特の色使いや、スタッズがついた特徴的なデザインなど、クラシックなデザインの中に遊び心を取り入れ、よりブランドを主張するエッセンスが散りばめられている。

韓国資本となったことで韓国の人気アーティストが広告塔となり、ファンや若い人たちが憧れるブランドとして再びのブーム到来。

バブル期を知らない世代には、まったく新しい感覚でインパクトに長けたアイテムとして認知されているようだ。

昨今の流行を見るに、手っ取り早く無難にそれでいて適度に「今風」な格好ができるファストファッションに身を包んだ人々が街を行き交う。

そこへ一点鮮明な印象を与える小物を投入することで、やり過ぎない個性の主張が完成する。

こうしたオシャレの足し引きやノウハウが、この情報社会の恩恵か若い世代に浸透しているようだ。

コーディネート能力の高い彼ら彼女らにとっては、MCMのような主張するアイテムでも嫌味なくさらりと使いこなせるのだろう。

ともかく最近の若い人たちは皆ひとしく自然体で力まずオシャレだ。

「人生は選択の連続である」

とるに足らない些細なことから人生を左右する大きなことまで、人間は日々その思考や行動においてあらゆる選択を繰り返し生きている。

その選択の判断基準となっているのが個々の価値観であることは紛れもない事実。

価値観によって自分の人生は取捨選択され循環していて、自覚はなくとも自分らしさを最も象徴している。

価値観はさまざまな経験や具体的な体験を繰り返す中で身につき自分の内側から湧き上がってくる感情とともに育ち変化する。

自分の価値観をどれだけ深く理解できているかで、幸福感が大きく違ってくると考えると、人生という長い時間をより良く過ごすには自分攻略がいちばんの近道。

現代の生活はWeb、SNS、TVなどから得る情報にあふれており、気づけば他人発信の情報に振り回されてしまうことも多々あり。

情報洪水の中で溺れないように必死に泳いでいる間は、なかなか自分の深層に目を向ける余裕がない。

さらに広告や一方的に発信される新しい情報は、魅力的に巧妙にこちらの興味を刺激し、うっかりしているとどんどん自分で考えたり内観の機会を奪われてしまう。

自分を振り返る時間が全く与えられないままでは、オリジナリティの成熟も期待薄。

せっかくの人生なのだ。

自分で自分の心地よいと思える方向に舵を取り、自分自身を最大限に楽しみたい。

ファッションに話を戻そう。

ファストファッションも定番アイテムやトレンドで固めることも、なんら悪くもなく時代にフィットしたオシャレ感覚なのだと思う。

実際、自分自身もそうしたアイテムで装ってさえいれば、場違いな空気感の焦りや目立ち注目される緊張感もなく無難に過ごせるので日常的に便利使いしている。

しかし学生服など規制ある中でもなんとか自分流のこだわりを出そうともがいた、青春の1ページを振り返ったときに思い出す、均一化ファッションへの反抗心のようなものが、心のどこかで退屈を叫んでやしないか。

時代に遅れたくない見栄で今っぽいオシャレを意識し、有名人やインフルエンサーを模倣することでトレンディな気分になり安心しているだけなのでは。

オシャレの概念もたしかに身を置く状況や環境によって変わるもの。

「こうでなければならない」「自分というキャラクターを主張すべき」などと謳うつもりも皆目ない。

ファッションは自己表現でもあり身を守るものでもあり機能的でもある。

特に意識しなくとも日常生活は送れるけれど、価値観の置きどころによってちょっとだけ「つまんない」景色が変わって見えることもあると思う。

ヴィンテージアイテムは魅力的な魔物だ。

なにせ経年によってしか得られない自然の加工だとか、もうその製造がされていないため紛れもない一点ものであったり、素材そのものが現代では入手不可能だったり。

ヴィンテージものをコレクションするのが好きな人は、なかなか手に入らないものだからこそ惹かれるという心理が働くのかもしれない。

たしかに「期間限定」「季節限定」「数量限定」「今だけ!」「初回に限り」と言った限定表現にはついついフラリと心奪われがちな自分を知っているだけに、激しく共感。

…それは少し次元の違う感性か。

ヴィンテージコレクション癖については、偏見かもしれないがどちらかというと男性に多く感じる。

ジーンズやスニーカーなど、若い頃は高くて買えなかったモノを大人になり金銭的な余裕ができて、いよいよ購入した喜びを思い入れたっぷり熱く語るシーンに何度か遭遇したことがある。

そんなにも熱望し手に入れたものならさぞかし日々が心豊かに過ごせようぞと、とても微笑ましく羨ましく感じた。

ただたまに収集することそのものに興味があって、手に入れたことで満足なのか、もう次のターゲットに意識が向かっている人もいたり、ひとの好みとはいろいろである。

全身をヴィンテージで揃えるのはテイストが統一されハズレないという魅力がある反面、頑張ってる感やコスプレ感が出てしまうこともあるので思いのほか難しい。

まずは小物など目に映る面積が小さいものからトライしてみることで、日常着にヴィンテージを取り入れやすくなる。

ひとクセあるデザインや生地感だと、一点投入で見た目にはとても新鮮に映るものだ。

おしゃれ心には年齢も性別もない。

自分の価値観がおもむくままに、ファッションも人生も楽しみたいものだ。


エディター : 高橋 由衣

www.instagram.com/iii.p_qiii/?hl=ja

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