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Culture

価値を見出すのは自分自身

2 years ago801 views

古着屋さんといえば、ガチャガチャとした雰囲気で色味や系統もバラバラのアイテムたちが仲良く肩を並べている、そんなイメージを持ちます。

それぞれは決して揃っていないのに、どこか懐かしくてとても落ち着く。

古着にしかない魅力がこれでもかと詰まった、まさに夢のような場所。

中学生の頃に初めて友達と大阪のアメリカ村へ行ったとき、今まで近所のショッピングモールに入っているお店しか知らなかった私には全くの未知の世界でした。

所狭しと並ぶ服、

やや汚れたスニーカー、

そして、同じものは二つとしてないその空間に足を踏み入れた瞬間の、テーマパークに来た時のような胸の高鳴りを十年ほど経った今でも覚えています。

そんな私にとっての‘’古着アイテム‘’というと、一番にシャツが思い浮かびます。

シンプルなデニムシャツ、ベタにチェックシャツ、ワッペンを施したボタンダウン。

これまで古着屋さんで色々な種類のシャツを購入したり見たりしてきましたが、その中でも個人的にこれぞヴィンテージだ、と感じるもの、それがVERSACE/ヴェルサーチェ(ヴェルサーチ)のシャツ。

なんと言ってもド派手なデザインで、光沢のある繊細なシルク生地に思わず目を惹くゴールドの総柄。

80年代のヴェルサーチェといえばとにかく贅沢でセクシー、ゴージャスといった言葉がぴったりのテイストで、セレブも多数愛用していたと聞きます。

そんな、一度目にすると忘れないほどのインパクトを与えるアイテム。

私自身も専門学校に通っていたときにあんなド派手なシャツが欲しい!と思った一人です。

古着屋さんに行くと、いつもシャツの並ぶコーナーを見に行き、レトロでゴージャスな柄シャツを探していました。

そしてある時ついに出会ったのが、赤地にゴールドのチェーン柄が描かれた、イメージ通りの、ド派手な柄シャツです。

専門学生の私にはヴェルサーチェを買うことは出来ませんでしたが、

なんとな〜〜〜く、それ‘’っぽい‘’このシャツでも十二分に満足感を得られる、それも古着の魅力であり楽しみ方かなと。

コーディネートのどこか一つにインパクトのあるアイテムを使うと、いつも着ているシンプルなジーンズや無地のフレアスカートもなんだか輝いて「イイ感じ」に見えるのが、オシャレの楽しいところだと感じています。

特に私がこのアイテムを気に入っている理由として、柄や色の他にシルエットがあります。

例えば、今この令和の時代では袖も身頃も全体的にゆったりとしたオーバーサイズの服が多く流通していますが、いわゆる‘’ひと昔前‘’は体のラインにピタッと沿ったタイトシルエットが主流、そして流行でしたよね。

この赤いシャツを見た時、一見ビッグシルエットにも思えましたが、いざ着用してみるとなんとも言えないフィット感があったのです。

袖はやや幅広めではあるものの、身頃はある程度スッキリとした形で着膨れもせず、タイトではないため着用時のストレスもなく、こんなに派手なのにどこか上品で、女性らしさも感じられる。

思い描いていた、言葉では表現できないけれど自分の中にある理想の、ちょっぴり古くさいのにそれが良い、みたいな。

現代でも80年代や90年代、もしくはそれよりも前のファッションを好む若者もたくさんいて、改めて古着、ヴィンテージの存在意義を考えさせられます。

何十年も前のものだから可愛くない、オシャレじゃないなんてことは絶対になくて、逆に‘’古くさい‘’ことがオシャレであるという感性って、なんだか素敵。

80年代バブル期のギラギラとした印象を彷彿とさせる派手なカラーリングでありながら、パワーショルダーやタイトなシルエットでないところが現代のファッションに自然に取り入れやすく、だけどその時代の味を失わない、最高のバランスなのです。

今まで基本的には色、柄、襟の形、丈感などにこだわって買い物をしていましたが、このシャツに出会って身頃のシルエットの重要さに気付かされ…。

今の時代だからこそ‘’映え‘’にこだわったディテールのアイテムも多い中、数十年前のアイテムがこうして現代に溶け込むとは、やはりファッションは繰り返し、巡り巡っているのだと実感する機会でした。

数年前に比べて最近はECサイトも随分と普及しているおかげで、古着とは縁がなかった人や苦手意識を持っていた人たちの閉ざされた扉を自然と開いてくれる大きなきっかけにもなっていると思います。

そしてそれがリバイバルファッションが広まる一因となることで古着が新たな流行を発信していく存在に。

古着を身につけることによって誰もが時代の先駆者にもなり得るのではないでしょうか。

「変わらない」という古着の確固たる魅力はそのままに、より身近に、そして古着を取り巻く環境はどんどん新しいものへと変化しているようです。

さて、そうした進化を遂げるヴィンテージ・古着の世界ですが、そもそも服の在り方について考えたことはありますか?

ヴィンテージというと、やはり経年価値のあるもののことを指し、古着とはまた違った存在であると思います。

希少性があり、求める人が多く、その分値段も高騰する。

そういったアイテム達が素晴らしいものであることは大前提で、私個人としては上記の条件を満たすものだけに価値がある、とは限らない気がしています。

数十年前に発売された入手困難なブランド物のジャケットはたくさんの人がそれを探し、手に入れるためにお金や労力を使う。

もしもそれが‘’価値‘’と定義されるのであれば、逆にたった一人がこれ良い!欲しい!と感じたリサイクルショップの片隅にあるTシャツには価値がないのでしょうか。

たとえ一枚500円のTシャツでも、ノーブランドの中古服も、お母さんからのお下がりも、全てに‘’洋服としての価値‘’は同じくらいあると思っています。

そう考えるようになったきっかけは専門学校で服の作り方を学んだことでした。

決められたテーマの中デザインを描き、それを紙のパターンに起こし、仮の布を使って一度形にしたあと、微修正を加えながらやっと本生地で縫っていき、その後もさらに修正したり見えない部分の処理や感覚での調整をしていくのです。

もちろん、現在ほとんどの服は工場の機械で自動的に生産されていますが、それでも服を作る大変さを知ってからは、ワンコインで購入したスカートもできる限り丁寧に、大切に着ようと思えるようになりました。

実際に、中学生の頃に母に買ってもらった古着のパッチワークスカートは、1500円程度の商品ながら十年ほど経った今も実は愛用しているんです。(笑)

元々なんでも「まだ使えるしな〜」と思って捨てられない性格ではあるのですが、このスカートは純粋にデザインがとても気に入っているので、買ってもらった年から欠かさず毎年夏にヘビロテしています。

安いけれど、値段は関係なく自分にとってはとても良い物だから。

人から見ればケチだとか、ダサいと思われるかもしれません。

だけど自分が良いと思ったものは、自分の感性を信じて。

ファッションは自由。

だから良い。

今やピンク色は女の子らしくて男の子は身につけにくいといった風潮も薄れ、スカートは女性だけが穿くものではなくなりつつあります。

TPOに合わせることは大前提ではありますが、好きなものを着られる喜び、それに出会える喜びは何にも変え難いものです。

安くで購入したから、「どこで買ったの?」と聞かれても答えるのが恥ずかしい。とか、中古で購入した前シーズンのアイテムだからな……。なんて考えは、一度とっぱらってみては?

と、昔の自分にも伝えてあげたい。

ヴィンテージの高価なジーンズも、古着屋さんのワゴンに積まれたUSEDのセーターも、全て誰かにとっては特別な一着になりうる価値のある物で、そしてその価値は自分自身で決めるのです。


エディター : chii

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